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旭川地方裁判所 昭和51年(ワ)129号 判決 1977年10月28日

原告

湯畑美恵子

被告

信田蔵雄

ほか一名

主文

一  被告らは、原告に対し、金五、〇〇〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和五一年六月一三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  この判決は仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

主文第一、二項と同旨の判決並びに第一項につき仮執行の宣言

二  被告ら

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二原告の請求原因

一  事故の発生

高山正則は、昭和四九年六月五日午後、自家用小型乗用自動車(登録番号旭五も六九五一号、以下事故車という。)の助手席に原告、後部座席に信田忠光及び小野田昌子を同乗し、右事故車を運転して道道旭川・幌加内線を旭川方面より幌加内方面へ向け進行していたが、翌六日午前零時頃、北海道雨竜郡幌加内町字下幌加内江丹別峠頂上付近の下り坂地点において、小便をするため運転を停止し下車して車から離れたところ、間もなく事故車が右同乗者三名を乗せたまま突然発進し、下り坂を加速しながら走行した末、カーブを曲り切れず道路脇の谷底に転落し、原告及び小野田が負傷し、信田が死亡した。

二  原告の受傷内容及び後遺症

1  受傷の部位・程度

脳挫傷(脳幹損傷)、全身打撲、誤飲性肺炎、第二、第三趾骨折、右眼瞼部裂傷、急性結膜炎、尿路感染等。

2  治療経過

原告は、事故当日より現在に至るまで医療法人回生会大西病院(旭川市四条通一一丁目右三号所在)において入院加療中である。

3  後遺症

原告の前記傷害は、精神及び神経系統の機能に左のような著しい後遺障害を残して症状が固定したが、常時付添看護を要する状況にあり、その程度は自賠法施行令別表の第一級に相当する。

(精神症状)

知能、記憶、記銘力、計算力などの中等度の障害。

(神経症状)

運動性失語症(言語機能の全廃)、左動脈・外脳神経麻痺、左三叉神経麻痺、迷走舌下神経麻痺、膀胱直腸障害、左片麻痺、両側腱反射亡逸及び病的反射出現

三  責任原因と相続関係

1  本件事故は、下り坂に駐車中の事故車の後部座席に乗つていた亡信田において、そのままの位置ではハンドル操作等による自動車の運転が意のままにならないのに、運転席に手を伸ばし、シフトレバーをローからニユートラルに操作し、かつパーキング・ブレーキを元の位置に戻して事故車を無制動の状態にし、右車両を発進させ、そのままハンドルを操作して運転した過失により発生したものであるから、亡信田は、民法七〇九条の不法行為者として、本件事故により原告に生じた損害を賠償する責任を負担していた。

2  そして、亡信田が前記のとおり死亡した結果、同人の実父母で、かつ同人の相続人の全部である被告らにおいて、亡信田の右損害賠償債務を各二分の一の割合で相続承継した。

四  損害

1  医療費 金四、〇〇九、〇四〇円

事故当日より昭和五一年二月一一日までの入院治療費(その後現在までの分は本訴で請求を留保する。)として金四、〇〇九、〇四〇円を要した。

2  入院雑費 金三、七〇八、七八五円

(一) 過去の分 金三四七、五〇〇円

事故当日より昭和五一年四月三〇日までの入院六九五日間につき、一日当り金五〇〇円の割合による合計金三四七、五〇〇円の諸雑費の支出を要した。

(二) 将来の分 金三、三六一、二八五円

原告は、昭和二八年九月二五日生れの女性で、その平均余命は五二・九二年であるところ、担当医師により、その生命を維持するためには終身に亘る入院加療が必要であるとの診断がなされているので、今後出捐を余儀なくされる将来の入院諸雑費は、右平均余命の期間中につき一日当り金五〇〇円を下らないから、その現価をライプニツツ式計算法により算出すると、金三、三六一、二八五円となる。

500円×365×18.418=3,361,285円

3  付添看護費 金一九、二二二、五一九円

(一) 過去の分 金二、三七五、七五九円

原告は、入院先の病院の完全看護が終つた日の翌日である昭和四九年八月一〇日以降も近親者ないし職業的付添人による二四時間常時付添看護を要する状態にある。

(父親の分) 金八四九、二五九円

原告の父は、農業を営む傍ら、毎年四月より一一月まで土木作業人夫として稼働し、事故の直前頃まで一日当り金四、八四三円の収入を得ていたが、昭和四九年八月一〇日から同年一一月三〇日まで一一三日間は原告の付添に専念したために右収入を得られず、この間に合計金五四七、二五九円の休業損害を被つた。また、同人は同年一二月一日から昭和五〇年四月三〇日まで一五一日間付添を続けたが、この間の付添看護費用は一日当り金二、〇〇〇円の割合による合計金三〇二、〇〇〇円を下らない。

(母親の分) 金一、二〇〇、〇〇〇円

原告の母は、事故当日より現在まで毎日付添看護に当つているが、この看護費用は一日当り金二、〇〇〇円を下らないので、六〇〇日間に限つて右費用を算出すると合計金一、二〇〇、〇〇〇円となる。

(職業的付添人の分) 金三二六、五〇〇円

昭和五〇年六月一日から同年一一月末までのうち実日数九五日間につき職業的付添人が付添看護に当つたが、その間に要した費用の合計は金三二六、五〇〇円である。

(二) 将来の分 金一六、八四六、七六〇円

原告は、前述のとおり、終生に亘り二四時間常時付添看護が必要であり、将来、近親者による介護が老齢化等によつて年々困難の度を加え、それを補うため職業的付添人の助力を求めなければならないことなどを考慮すると、今後出捐を免れない付添看護費は、一日当り、昭和四九年度賃金センサス第一表産業計、企業規模計、学歴計女子労働者の平均日額賃金二、五〇六円(月額賃金七五、二〇〇円を三〇で除した金額)と同額と算定すべきであるから、その現価をライプニツツ式計算法により算出すれば、金一六、八四六、七六〇円となる。

2,506円×365×18.418=16,846,760円

4  逸失利益の喪失による損害 金二〇、五三六、四七六円

(一) 休業損害 金一、五七五、五九五円

原告は、本件事故当時、幌加内町農業協同組合に勤務していたが、右事故により、事故当日から昭和五一年四月三〇日まで全面的に欠勤を余儀なくされた。このうち、昭和四九年六月六日から昭和五〇年五月三一日までの一年間は、右欠勤がなければ金一、一四五、七五九円の収入を得られた筈のところ、現実には金六二〇、四四三円の収入しか得られず、差引金五二五、三一六円の得べかりし収入を喪失した。その後同年六月一日から昭和五一年四月三〇日までの一一か月間は全く収入を得られず、この間の得べかりし収入金一、〇五〇、二七九円を喪失した。

1,145,759円×11/12=1,050,279円

したがつて、原告に生じた休業損害は、以上を合算した金一、五七五、五九五円となる。

(二) 後遺症による逸失利益 金一八、九六〇、八八一円

原告は、前記後遺症により、一般女子の就労可能年齢である六五歳に至るまでの四三年間に亘りその労働能力を一〇〇パーセント喪失したものというべく、この間昭和四九年度賃金センサス第一表産業計、企業規模計、学歴計女子労働者の満二〇歳から二四歳の平均賃金(年間金一、〇八〇、七〇〇円)を下らない収入を得られなかつたことになるから、その現価をライプニツツ式計算法によつて算出すると、金一八、九六〇、八八一円となる。

1,080,700円×100/100×17.545=18,960,881円

5  慰藉料 金一〇、〇〇〇、〇〇〇円

前叙の諸般の事情、殊に、原告が終身に亘つて入院生活と二四時間介護を要する状況にあることなどを考慮すると、その受けた精神的苦痛に対する慰藉料は金一〇、〇〇〇、〇〇〇円を下らない。

6  損害の填補 金二八、〇五〇、〇〇〇円

原告は、自賠責保険により金一〇、八〇〇、〇〇〇円の給付(傷害分金八〇〇、〇〇〇円、後遺症分金一〇、〇〇〇、〇〇〇円)を受け、高山正則より金一七、二五〇、〇〇〇円の賠償を受けた。

五  結論

よつて、原告は被告らに対し、以上の差引損害合計金二九、四二六、八二〇円の内金五、〇〇〇、〇〇〇円とこれに対する不法行為の日の後である昭和五一年六月一三日(訴状送達の日の翌日)から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求原因に対する被告らの答弁

一  請求原因一の事実は認める。

二  同二の事実は知らない。

三  同三の1の事実は否認する。本件事故は、高山の停車措置不十分という過失に起因するものである。即ち、亡信田は普通運転免許を所持し、自動車の運転、性能に関しては十分な知識経験を有していたのであるから、原告主張のような状況下において、主張のごとく事故車を発進させることは正に自殺行為に等しく、それにもかかわらず亡信田がかかる常識外の行為をなすべき動機は全く存しなかつた。もし、事故車の発進が亡信田の計画的行動であれば、同人は何ら慌てることなく、自ら後部座席より運転席に乗り移るとか、助手席の原告に命じるとかして減速、停車の措置をとらせたであろうし、最悪の場合でも、片側の崖に車を乗り上げるなどして路外転落を回避し得た筈である。これに反し、高山が事故車を停止して車より離れるに際し、ギアをローに入れ忘れ、かつパーキング・ブレーキの引き方が不十分であつたことは、自動車運転者の日常的な経験に照らしても容易に考えられるところであつて、この可能性の方が亡信田が車を発進させた可能性よりもはるかに高く、後者の可能性はこれを無視し得るものといわなければならない。

同三の2の事実中、被告らが亡信田の実父母であり、かつ同人の相続人の全部であること、被告らの相続分が各二分の一であることは認めるが、その余は争う。

四  同四の事実中、6の事実は認めるが、その余は知らない。

第四被告らの抗弁

原告の本訴請求は信義則に反し、権利の濫用であるから、許容されるべきではない。即ち、本件事故の加害者は、客観的にみても亡信田ではなく高山であるというべきこと前叙のとおりであるが、仮りに、亡信田が本件事故の発生に共同加功した事実があるとしても、原告は、高山との間において、高山が本件事故の加害者(原因者)であることを相互に確認して示談に及んだ上、同人より主張のごとき賠償金を受領しているのであつて、原告は、このことによつて、加害者が高山であることを行動で示し、かつ、高山以外の者に対しては損害賠償の請求をしないという法的地位に立つたのである。したがつて、亡信田が加害者であるとしてその相続人相手に提起された原告の本訴請求は、自己の従前の行動ないし法的地位と相容れないものであり、二重の利得を企図したものというほかなく、これは信義則に反し、権利の濫用に該るものといわなければならない。

第五抗弁に対する原告の答弁

被告らの主張事実は争う。高山は、事故車を停車し、その運転席を離れるに当り、エンジン・スイツチを切り、ギアをローに入れ、かつパーキング・ブレーキを十分引いたのであるが(したがつて、この点について被告ら主張のような過失はない。)、停車位置は下り坂であり、それ故、シフトレバーがニユートラルに操作され、かつパーキング・ブレーキが戻されると制動のきかぬ状態となつて、運転者不在の自動車が自然に発車するおそれがあつたのであるから、下り坂の箇所に停車しないようにするとか、やむを得ずかかる場所に停車する場合には、車止めをするなど適当な方法で車の発進を未然に防止すべき注意義務があつたのであり、漫然これを怠つた高山の過失責任は免れないところである。したがつて、原告が高山からの損害の賠償を得ても、このことが原告の本訴請求に消長を及ぼすものではない。

第六証拠関係〔略〕

理由

一  事故の発生

請求原因一の事実は当事者間に争いがない。

二  原告の受傷内容及び後遺症

成立に争いのない甲第三ないし第八号証及び証人湯畑藤雄の証言を総合すると、原告は、昭和二八年九月二五日生れ事故当時二〇歳九か月の普通の健康体を保持した女性であつたが、本件事故によりその主張のような傷害を受け、意識不明のまま即日主張の病院に入院し、同病院において治療を受け、生命はとりとめたが、重篤な無言無動状態が続いた後、昭和四九年一一月頃意識は回復したものの、症状は軽快をみず、同病院に入院したまま今日に至つていること、原告の右傷害は、精神及び神経系統の機能に主張のような著しい後遺障害を残して昭和五〇年一一月一三日頃にはほぼ固定したものであるが、殊に、発語、摂食、排便等の自律機能は皆無であり、意志の伝達はかろうじて筆談に頼り、食物は鼻導管を通じて流動食を摂取するほかなく、そのため病院のベツトに寝たきりで二四時間常時付添看護を必要とし、日常生活のすべてを他人の介助に待たなければならない状況にあること、右は自賠法施行令別表の第一級第三号に該当する後遺障害であり、今後治療行為を継続しても改善の可能性は期待できず、終生右のような症状が続くものと考えられることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  責任原因と相続関係

1  本件事故の発生原因

原本の存在並びに成立に争いのない甲第九号証の一ないし一九、第一〇号証、第一一号証の一ないし五、証人小野田昌子の証言により成立の真正が認められる甲第一二号証、証人高山正則、同小野田昌子、同久保田吉之助の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すれば、

(1)  高山が事故車を停車した現場は、江丹別峠の頂上より約八〇〇メートル幌加内寄りのアスフアルト舗装道路の左側部分で、旭川方面より幌加内方面へ向け約七パーセントの下り勾配を成し、更に右現場より歩車道の区別がなく中央線が表示された幅員約五・五メートルのアスフアルト舗装の道路が山間を縫うようにつづら折りの緩やかな下り坂となつて幌加内方面に至つている。事故当時は晴天で路面は乾燥しており、付近に照明設備はなかつたが、満月に近い月明りに照らされていた。

(2)  高山は、幌加内町農業協同組合の同僚職員である原告ら三名と誘い合つて幌加内から旭川まで自己所有の事故車でドライブし、護国神社例大祭を見物した後、午後一一時頃、事故車の左側助手席に原告、後部座席の右側(運転席の後方)に信田、左側に小野田を乗せ帰途についたもので、途中尿意を催し、小便をするため、午前零時頃前記現場に事故車を停車し、エンジンを止め、手ブレーキを引き、変速レバーをローギアに入れ、ライトを消した後下車し、車の五メートル程後方で小便をした。その間同乗者三名は車内にとどまつたのであるが、原告及び小野田は女性で自動車の構造及び運転上の操作についての知識が全くなかつたのに比し、信田(当時一九歳)は、昭和四八年七月に普通運転免許を取得し常日頃知人の車を借りて運転していたこともあつたところ、同人は、高山が下車した直後、後部座席より腰を上げ、運転席のシートに手をかけ、更に手を前方に伸ばして運転席の装置をいじつているうちに、事故車が突然前方にゆつくり動き出した。折柄小用を済ませ自車に戻ろうとした高山からは、車内の様子は見えなかつたが、事故車が約五メートル進んだところでギア鳴りの音がしたので、同人は、車内の誰かが悪戯している、車が停まつたら説教してやろうと思い、歩いて事故車の後からついていくうち、事故車は前方カーブを三つ曲がつても停止せず、次第に加速し、高山の視野から消えたので、同人は異変を感じ車の後を追つた。

一方、事故車の車内では、事ここに及んで、事態の重大さに気付き、女性二人はただ拱手傍観するほかなく、信田が後部座席から必死にハンドルを操作して一、二のカーブをかわしたが、前記停車現場より約二キロメートルほど離れた地点でついに路外に逸脱し、事故車は約六〇度の急斜面をバウンドしながら右側約四〇メートル下方の谷底に転落して大破した。そして、信田は仰向けになつた事故車の下敷となつて即死し、原告及び小野田は車外に投げ出されて重傷を負つたが、小野田が道路まで這い登り、来合わせた高山に事故の発生を通報した結果、事故処理の措置がとられるに至つた。

(3)  事故車は、二ドア方式の四五年式マツダ・フアミリア(車長三・七九五メートル、車幅一・四八〇メートル、車高一・三四五メートル、車両総重量一〇五五キログラム、総排気量一二七二cc)で、手ブレーキ(パーキング・ブレーキ)はハンドル軸より左側の運転席前部の下方からレバーが手前に延びて設置され、運転席の背もたれは右側ドアとの間にあるレバーの操作により前方に押し倒すことができる構造である。右車両は事故直前までに約五万五千キロメートルの走行距離を計上していたが、特に機能、構造上の欠陥箇所はなかつたところ、本件事故直後において、事故車の変速レバーはニユートラルの状態、手ブレーキは全部元の位置に戻した状態であつた。

(4)  事故の翌日、前記事故車停車地点付近で同車種の車両によるエンジン停止中の駐車状態からの発進状況について、所轄警察署の担当者が実況見分を行なつたが、それによると、変速レバーをローギアに入れ、かつ手ブレーキをいつぱいに引いた場合、車は停止状況を保持し、大人二人で後方より押しても発進せず、また変速レバーを右の状態のままにして、手ブレーキを戻しても車はノツクして発進しないが、変速レバーをニユートラルにして手ブレーキを戻すと同時に車は発進し、三〇メートル走行後には時速一八キロメートルに達するとの結果が得られた。

(5)  一般に、事故車のような車種、型式の普通乗用自動車の場合、エンジンが停止し変速レバーがローギアに入れてある状態で、クラツチ・ペダルを踏むことなくギアをニユートラルにすることは、多少力を要するとしても、二〇歳前後の男子であれば十分可能であり、このことは、本件事故現場程度の下り勾配がある場所であつても同様である。また後部座席から運転席の背もたれを前に押し倒し、あるいは身を乗り出し手を延ばして手ブレーキを元の位置に戻すことも十分可能である。

以上の事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

そこで、右認定事実を総合して考察するのに、運転者においてエンジンを止め、手ブレーキを引き、変速レバーをローギアに入れた状態で停車中の事故車が突然発進し、そのまま坂道を走行してついには路外に逸脱し、谷底に転落するに至つた直接の原因は、後部座席に乗つていた亡信田が、おそらくは、最初は運転者の不在中を奇貨として一寸悪戯してやろうという軽い気持から、運転席の背もたれを前に押し倒し、あるいは身を乗り出して運転席に手を延ばし、変速レバーをニユートラルにし、かつ手ブレーキを元の位置に戻した結果、事故車が無制動の状態となり、停車位置が下り勾配のため、車両の自重に大人三人の同乗者の体重が加わつた重力の作用で自然発車し、転落するまでの間慣性力によつてそのまま走行を続けたものと推認するのが相当である。

この点について、被告らは、亡信田がかかる自殺行為に等しい常識外の行為をする筈はなく、本件事故は高山の過失行為に起因する旨主張し、被告信田蔵雄本人尋問の結果中には、右主張に副う供述部分がある。しかし、この供述内容には、本件事故で我が子を失いながら、なおかつ生存同乗者より賠償請求を受けている父親の複雑な心境が看取できるのであり、いま、その点を措くとしても、同じ職場に勤める二〇歳前後の年若い男女各二名がグループで祭見物という共通の目的を終えて家路につく夜間ドライブの途中という当時の状況を想到すると、運転免許は所持しながら自己の車を所有していない亡信田が運転者不在中に前記のような行為に出たと推認することは、それが前掲のような客観的な情況証拠に支えられたものである限り、十分根拠のあることとせねばならない。したがつて、前記供述部分は前記の推認を左右するに足りる資料であるとは到底言い難く、他にこの推認を覆えして被告らの主張事実を認めさせるに足りる証拠はないから右主張は採用の限りではない。

2  亡信田の責任と被告らの相続

前記認定事実からすると、亡信田は、普通運転免許を持ち、車の機能、構造上の一般的な知識に欠けるところはなかつたものであり、変速及び制動装置に前認定のような操作を加えれば、下り坂にエンジンを切つた状態で停車中の事故車が自然発車するのみならず、一旦発車した後においては、月夜とはいえ夜間、しかも山間のつづら折りを成す下り坂において、前記の技術的知識を持ち合わせていない女性二人が同乗している運転者不在の事故車をその後部座席からハンドル操作だけで的確に走行させることが到底不可能であり、そのまま惰力走行すれば重大事故の発生が不可避であることは容易に認識できたものと認められるから、亡信田が漫然前認定のような所為に出た点において、同人は本件事故の発生につき過失による不法行為責任を負担していたものといわなければならない。

そして、被告らが亡信田の実父母であり、かつ同人の相続人の全部であること並びに被告らの相続分が各二分の一であることは当事者間に争いがないから、被告らは、亡信田の前記不法行為による損害賠償債務につき右相続分の割合で相続したものというべきである。

3  抗弁について

被告らは、亡信田が本件事故の発生に共同加功した事実があるとしても、原告は高山を右事故の加害者であると認め、それ以外の者を事故の原因者としない前提で行動し、かつそのような法的地位にあつたから、二重の利得を企図する本訴請求は信義則に反し、権利の濫用であると主張する。そして、大塚重親記名押印部分につき争いがなく、その余の部分につき証人高山正則、同湯畑藤雄の各証言により成立の真正が認められる甲第二六号証及び右各証言によれば、原告の代理人である弁護士大塚重親は、昭和五一年四月一五日高山との間で、高山を本件事故の加害者であるとして同人より既払金を含め金一、七二五万円の損害賠償を受けることで示談する旨の合意をし、その旨の示談書(甲第二六号証)を作成したことが認められ、原告が高山より右金員の支払を受けたことは後述のとおりである。

しかしながら、高山が事故車の所有者として自動車損害賠償保障法三条所定の運行供用者(保有者)たる地位にあつたことは前認定事実より明らかであり、同人が本件事故の発生につき無過失であるとは認め難い以上(高山は、事故車の近くで小用をたすため停車したのであるが、一旦車を離れる以上、自動車運転者としては、車が動き出す危険性のある坂道に停車することはつとめて避けるべきであり、それがやむを得ない場合であつても、エンジンを止め、手ブレーキをかけるだけでは足りず、更に、変速レバーをバツクギアに入れ、輪止めをかけるなど車両が停止の状態を保つため必要な措置を講ずべき注意義務を免れない筋合である。なお、道路交通法七一条五号参照)、原告において高山の損害賠償責任を追及し、前記のような示談をすることは、何ら背理ではないし、一方、原告が亡信田の不法行為による損害賠償請求権の行使を予め放棄したような事情がなく、かえつて、前掲甲第二六号証によれば、原告、高山間の示談においては原告、亡信田の相続人間の請求権が留保されていたことは明らかであるから、このような事情の下では、原告の本訴請求を捉えて信義則に反するとか、権利の濫用であるとか目することは正当でない。したがつて、被告らの抗弁は採用できない。

四  損害

1  医療費 金四、〇一一、〇四〇円

成立に争いのない甲第一三ないし第一五、第一七ないし第一九号証の各一、原本の存在並びに成立に争いのない甲第一三、第一四号証の各二、三、第一五、第一七ないし第一九号証の各二ないし四によれば、原告主張期間中の医療費として合計金四、〇一一、〇四〇円を要したことが認められ、これに対する反証はない。

2  入院雑費 金三、六七九、〇三七円

(一)  過去の分 金三四七、五〇〇円

原告が本件事故の日である昭和四九年六月六日大西病院に入院し、そのまま現在に至つていることは既に認定したとおりであり、原告のような患者の入院雑費として一日当り金五〇〇円を下らない支出を要することは当裁判所に顕著であるから、原告主張期間中の入院雑費の合計は金三四七、五〇〇円となる。

(二)  将来の分 金三、三三一、五三七円

原告が終生に亘り日常生活のすべてを他人の介助に待たなければならぬ状況にあつて現在も入院生活を送つていることは前認定のとおりであり、将来通院ないし自宅療養に切り替えることも全く考えられぬではないが、現在においてはその目途も立つていないことは、前掲甲第八号証及び証人湯畑藤雄の証言により認め得るところである。そして、原告は、本件遅延損害金請求の起算日である昭和五一年六月一三日当時(以下基準日という。)満二二歳であるところ、この年齢の一般女性の平均余命は五六・一六年であるが(当裁判所に職務上顕著な厚生省昭和五〇年度簡易生命表による。)、原告のような症状にある者が栄養障害、余病併発等により多かれ少なかれ通常の健康人より余命が短いことも容易に考えられるところであるから、これらの点も考慮するときは、原告は基準日より五〇年間に亘り入院生活を続け、その間一日当り金五〇〇円を下らない入院雑費を要するものと推認するのが相当である。そこで、この将来の入院雑費を損害発生の後である基準日において一時に支払を受けるものとしてライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除してその現価を求めると(計算の便宜上、一年を三六五日とし、円未満の端数は切捨てる。以下同じ)、金三、三三一、五三七円となる。

500円×365×18.255=3,331,537円

3  付添看護費 金一九、〇七三、四二四円

(一)  過去の分 金二、三七五、七五九円

原告が二四時間常時付添看護を必要とし、そのような状態は原告の終生に亘り継続するものであり、将来自宅療養が可能となつても同様であることは前叙のとおりである。そして、成立に争いのない甲第二〇号証の一ないし四、証人湯畑藤雄の証言により成立の真正が認められる甲第二一号証の一ないし九及び右証言によれば、原告の入院先の病院の完全看護が終つた日の翌日である昭和四九年八月一〇日以降、原告の父母が原告主張のように付添看護に当り、また原告主張の期間中職業的付添人を雇つて付添に当らせたこと、原告は昭和四九年一一月頃からは意識を回復しており、夜間も七、八回看護人の介助を求めるため、一人で付添看護に当る場合は就眠することも困難であり、客観的に少なくとも二人の付添看護を必要とする状態にあること、原告の父は、農業を営む傍ら夏期は土木作業人夫として働いていたもので、本件事故より前の昭和四九年四月一三日秋津道路株式会社に同年一一月末までの期限を定めて雇傭され、事故前日までの五四日間稼働して金二六一、五二六円(一日当り金四、八四三円)の賃金を得ていたところ、その後原告の付添に従事したため事故当日より右約定期限までの一一三日間全く稼働できず、この間の得べかりし賃金の合計金五四七、二五九円を得られなかつたこと、前記職業的付添人の費用として金三二六、五〇〇円を要したことが認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。そして、近親者の付添看護費用が一日当り金二、〇〇〇円を下らないことは当裁判所に顕著であり、前記認定事実によれば、原告主張の期間中、職業的付添人を含め三人以上の看護人が同時に重畳的に付添に当つた関係にはないことが明らかであるから、以上の認定説示に基づいて考えるときは、原告が主張する原告の父の休業損害をも含めた過去の付添看護費用の合計金二、三七五、七五九円はすべて本件事故と相当因果関係にある損害と認めるのが相当である。

(二)  将来の分 金一六、六九七、六六五円

原告は、終生に亘り常時付添看護を必要とし、かつ客観的に少なくとも二人の看護人を必要とする状態にあるが、前認定事実からすれば、将来老齢化に伴う体力減退等により原告の父母による介護は年々困難の度を加えること、したがつて右介護が適切になされるためには職業的付添人による助力が望ましく、またそれを必要とする事態も十分考えられることは推認に難くないから、これらの点を考慮すると、原告の将来の介護に要する労働力の評価は、原告が主張する当裁判所に顕著な昭和四九年度賃金センサス第一表産業計、企業規模計、学歴計女子労働者の平均賃金である日額金二、五〇六円を下まわることはないものと認められる。そこで、原告の介護に要する期間を前記2の(二)に述べたところに準じ、基準日から五〇年間として、将来における付添看護費の基準日における現価をライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算出すると、金一六、六九七、六六五円となる。

2,506円×365×18.255=16,697,665円

4  逸失利益の喪失による損害 金二〇、〇五七、九三八円

(一)  休業損害 金一、〇九七、〇五七円

成立に争いのない甲第二二、第二三号証及び証人湯畑藤雄の証言によると、原告は、昭和四七年七月一日幌加内町農業協同組合の職員として採用され、本件事故当時組合員勘定係として勤務していたが、事故当日から欠勤休職し、昭和五〇年五月七日付で退職したこと、右事故がなく、就労を続ければ、原告は昭和四九年六月から昭和五〇年五月までの一年間に合計金一、一四五、〇〇〇円の賃金が支給される筈であつたところ、右欠勤により現実支給額は金六二〇、四四三円にとどまり、差引金五二四、五五七円の得べかりし収入を喪失したことが認められる。そして、原告の本件事故による傷害が昭和五〇年一一月一三日頃症状固定の状態となつたことは既に認定したところであり、事故がなければ少なくとも右症状固定時までの就労は継続し得たものと推認されるから、昭和五〇年六月一日から同年一一月末までの六か月間の得べかりし収入金五七二、五〇〇円

1,145,000円×6/12=572,500円

も本件事故と相当因果関係にある休業損害と認むべきである。したがつて、以上を合計した金一、〇九七、〇五七円が賠償の対象となる休業損害である。

(二) 後遺症による逸失利益 金一八、九六〇、八八一円

前記認定事実によれば、原告は、前記後遺症により、その労働能力を一〇〇パーセント喪失し、その状態は、少なくとも原告が主張する就労可能年齢に至るまでの四三年間は存続するものと推認される。そして、本件受傷がなければ原告が保有し得た筈の労働能力は、原告が主張する当裁判所に顕著な前掲賃金センサスによる満二〇歳から二四歳までの女子労働者の平均賃金である年間金一、〇八〇、七〇〇円(月額固定給与金七一、八〇〇円、年間特別給与金二一九、一〇〇円)を下らないものと評価できるので、これを症状固定時より後である基準日において一時に支払を受けるものとしてその現価をライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、金一八、九六〇、八八一円となる。

1,080,700円×100/100×17.545=18,960,881円

5 慰藉料 金一〇、〇〇〇、〇〇〇円

以上に認定した原告の傷害の程度、治療の経過、後遺症の内容その他本件に顕われた諸般の事情を総合斟酌すると、原告の受けた精神的苦痛に対する慰藉料は、金一〇、〇〇〇、〇〇〇円と定めるのが相当である。

6 損害の填補 金三一、〇七九、五六〇円

原告が自賠責保険よりその主張の内訳による金一〇、八〇〇、〇〇〇円の給付を受け、高山より金一七、二五〇、〇〇〇円の賠償を受けたことは当事者間に争いがなく、前掲甲第一三ないし第一五号、第一七ないし第一九号証の各一によれば、医療費中、少なくとも金三、〇二九、五六〇円が社会保険より給付されたことが認められるから、この合計金三一、〇七九、五六〇円を以上1ないし5に認定した損害の合計金五六、八二一、四三九円より控除すると、賠償額は金二五、七四一、八七九円となる。

五  結語

よつて、被告らに対し、本件事故による差引損害金のうち金五、〇〇〇、〇〇〇円とこれに対する不法行為の日の後である昭和五一年六月一三日(訴状送達の日の翌日)から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求は、正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 篠原勝美)

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